7月2日(水)
「近藤智洋は俺の理想のミュージシャンなんだよ!」
ことある毎に俺はそう言い続けている。日常会話でもライブのMCでもしょっちゅう繰り返している。
聞かされるヤツラは『また言ってるよ、ジジイ。』みたいに笑っている。
俺の声のトーンは何を言っても嘘にしか聞こえないらしい。
何か話すと、たいがい「ワハハハ、でもウソなんでしょ?」と合いの手が入る。お前らそれって俺に対して失礼だとは思わないのか?やたら傷つくぜ。慰謝料として金品や肉体を要求するけどイイか?
しかし最近は近藤さんの話をすると『このオヤジ、どうやら本気で語ってるみたいだな』と判るらしくみんなは優しい顔で俺の熱い近藤演説を聞いてくれる。他の話の時ももっと真剣に聞きやがれ。
近藤智洋の2ndアルバム『二つの鼓動』が発表された(写真)。俺はゴール直前の宗兄弟のような形相でタワレコへ駆け込んだ。俺がいの一番でゲットしてやる。判るだろ?是が非でも手に入れなきゃならないアルバムがあるとすれば間違いなくそれはこの『二つの鼓動』なんだ。
既に熟聴していたけど、素敵なジャケットを見ながら改めて聞くこのアルバムは本当に素晴らしい。特別な想いが俺の胸にあふれかえる。
喜びと哀しみで作ったろうそくに小さな灯がともる。その灯は底知れぬ自分自身の心を照らす。
『伝えたくても決して言葉にならない何か』を探して心は毎晩悲鳴を上げる。ひたすら探す。そして漂う。このアルバムはそんな哀しみの心を照らすろうそくのようだ。
近藤さんはいつも穏やかで寡黙である。ニコニコして会話の聞き役に回るような人だ。俺みたいに口を開けば殺人をほのめかす男とは訳が違う。
しかしそんな近藤さんの全身からは常に狂気じみた闘志が立ち込めているのを俺は見逃さない。
音楽以外で語る言葉をもはや持ち合わせていないミュージシャンの覚悟がヒシヒシと伝わってくる。
ケタはずれの本数で全国を旅して回るのも、もう自分では止めることのできない激流の中に飛び込んでしまったからに他ならない。
頭の中で『こうすべきだ』とか『このようにしたいと望む』などといった概念はなく、ただ『見る前に飛べ!』という実行のみが存在する。俺が近藤さんの事を尊敬し理想だと言うのは、こうした所以なのである。
近藤さんの歌は『夜』の歌でもある。
月明りの下で波間に揺られながら航海に出る。闇の中を漂い、あらかじめ失われたセンチメンタリズムの残像を歌う。そして最終曲『ここから』で航海から戻ってきた。もうすぐ夜が明けるよとつぶやいている。その寂しげなつぶやきこそが俺が共有できる『声』であり『歌』なのだと思っている。
本当に大切な言葉は叫んだりしない。小さな声でつぶやくものなんだよ。
近藤さんの歌を聞く度にフト思い出す詩の一節があって、俺にとってそれは最高にセンチメンタルな『夜の歌』なのだが、『二人の航海』を初めて聞いた時なぜかこの詩を思い出した。蛇足かも知れないが記してみる。
『三本のマッチ一つ一つ擦る夜のなか
はじめのはきみの顔をいちどきに見るため
つぎのはきみの目をみるため
最後のは君のくちびるをみるため
残りのくらやみは今のすべてを思い出すため
きみを抱きしめながら』(ジャック・プレヴェール作『夜のパリ』)
奥深い孤独は何かを突き破った時、多くの人の胸に届く普遍となる。
近藤さんはそれを証明してみせることのできる稀有なミュージシャンである。

