5月9日(土)
朝、目が覚めたら熱は下がっていた。午前中いっぱい眠る。
夕方、府中の伊勢丹へ母の日のプレゼントを買いに行く。ぺ・ヨンジュンのニューDVDを発見。既に入手していないか確認の電話。
「タカヒロか?あんた、今度ぺさんが大阪来るのにチケット取られへんねやがな!」
いきなりの怒号であった。
今度ぺ・ヨンジュンの大阪ドーム公演があるらしく、電話予約開始の日に喜び勇んで電話したら全くつながらない、しばらく待ってかけ直すと『売り切れました』との非情なアナウンスがあったらしい。
「ママ、日本ではもっともチケットの入手が困難なアーティストなんだよ、ぺさんは…。」
俺がなだめても当然納得してくれない。
「大阪ドームには5万人から入れるんやで!それでも券が取られへんとはどう言うこっちゃ!大阪の人間だけやナイやろ?他の県からもようけ見に来るんやろ、きっと。」
そうだろね。日本全国からぺ・ヨンジュンファン大挙して押し寄せて来るんだろね。
「大阪で演る時は大阪の人だけが見たらエエやないの!私は東京で演るんやったら東京までは行けへんで。東京の人に花を持たしたるわ。そやろ?皆が皆、大阪に来るコトは無いと思うんやけど、あんたもそう思えへん?」
アメリカ南部の人間並みの偏狭な思考回路である。
大阪でおこなわれるコトに他府県の人間が介入する必要ナシとの大阪ナショナリズムの権化なのである。
「マ、ママ、ぺさんはジュンスカじゃないんだ。年間200本のライブを演ったりはしないぜ。せいぜい東京、大阪くらいだろ?日本全国のファンが集中するのも仕方が無いんじゃないかな?」
実は俺は母以上の『大阪国粋主義者』なんだが、ここは取りあえず反論してみた。
「天王寺公園で演ったらエエのに。広いし通天閣も近いわな。」
『天王寺公園』とはディープ大阪の最たる場所であり『じゃりん子チエ』の世界そのままの所である。
「ママ、浮浪者が尻を出したまま昼寝しているような場所なんだよ。絶対に不可能だよ。そんなの横山ノックが知事の時だって許可されないと思うな!」
俺は狼狽し思わず声を荒げた。
「ぺさんな、天王寺でライブ終わったら『ちゃんこダイニング若』に行ったらエエわ。おいしいからビックリしはると思うでえ!」
母はぺ・ヨンジュンのケータリングにまで気を使い始めた。
「マ、ママ、国際的スターは『若』には行かない!でも確かに美味しいんだけどね…。」
ナニワの主婦の底知れぬパワーに圧倒されて俺はシドロモドロになってしまった。
「ひえー、外食もできへんのかいな!スターってツライなあ、可哀相やなあ…。」
ぺ・ヨンジュンを想う母の声が涙声に変わった。
「でもな、あんたも東京で歌手やってるらしいけど、暴力団の結婚式とか出たらアカンでえ!」
最後は意味の判らない狂った説教で終わった。
東京で音楽をやってるイコール暴力団との黒い交際という図式が母の頭の中にはハッキリあるらしい。
「ううっ、ママ、俺は勝新じゃないんだ。単なるアマチュアロックシンガーに過ぎないんだ。ヤクザの結婚式に出たくても誰も呼んでくれないよ。だから何も心配しなくてイイんだよ…。」
今日も混沌としたまま電話を切った。俺はぺさんのDVDを配送し終え、伊勢丹を後にした。
府中駅近くにある行きつけの中古盤屋『ポポロ』に立ち寄る。
百恵ちゃんの初期のLPの帯付き超美品を発見。もちろん即ゲットした(写真)。
百恵ちゃんの3rdアルバムってコトは確か昭和49年のはずだ。長嶋が現役を引退した年だ。日本シリーズは中日対ロッテだった。金やんのロッテが日本一になったんだよな。
やっぱりその年も母は俺と妹を天王寺公園の中にある動物園に何度も連れて行ってくれた。今にして思えば『幸福』としか表現のしようがない時代だった。
そして浮浪者達は昭和49年も間違なく尻を丸出しにしてグーグー昼寝をしていた。

